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店主紹介

私は、栃木県大田原市黒羽の田舎町の農家の3番目の次男として生まれました。幼い頃から泣き虫で、体が洗濯板のようにガリガリ痩せていて、気が弱くいつも苛められていました。高校時代は、毎朝牛乳配達し、そのお金で授業料を払い、高校までの片道15キロを自転車通学し、作新学院剛腕江川投手と投げ合う夢を抱き、1年2学期から野球部に入り、頑張りました。まぐれで3年春の県大会では準優勝投手になり、夏はベスト4でした。あの剛腕江川投手と練習試合で投げ合うことも出来、夢が叶いました。沢山の汗と涙を流し、沢山の感動を体験しました。高校3年間で一番苦労したのは、毎日野球の練習が終わって部室で腹一杯水を飲んで15キロを自転車で帰る時、あまりにも空腹でペダルをこげず、坂が登れなかったことです。その空腹感は死ぬ思いでした。お金がなくて、パンも買えなかったので水を飲むしかありませんでした。毎日が気力で通学していました。3年春の県大会で優勝候補を破り、準優勝投手になり、活躍し一躍有名になれたことは、きっと、神様が苦労したご褒美にプレゼントしてくれたのでしょう。

 その後、地方銀行に入り、あちこち転勤して来て秩父にたどり着き、この地でそば屋になりました。銀行では、高卒の叩き上げで、随分実績を上げ、頭取表彰を何度も受賞しました。職場では、正義感使命感に燃え、時として上司と衝突もしました。その為、人事部からもマークされ左遷左遷の連続でした(笑)。本当に正しいと思うことは、例え上司でも自己主張し譲れませんでした。きっと、上司にすれば、可愛くない部下だったことでしょう。辛い出来事の連続でしたが、熱く燃え全力投球の28年間でした。今となっては、素晴らしい思い出になりました。

そば打ちを趣味に持ってから、500回以上もそば打ちをし、その間、そばの本を買い漁り、そばの勉強をし、数え切れないほど食べ歩きしました。平成14年、意を決し、28年勤めた銀行を脱サラし、秩父浦山大日堂そばに「大日そば」屋をオープンしました。その後、現在地に新店舗を建て「蕎麦いんなみ」をオープンさせ、再出発を果たしました。

毎朝、人生の辛苦を蕎麦に込めて打っています。

こんな頑固者が打ったそばを是非食べてみて下さい

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